2010年5月25日火曜日

アリ・地獄の恐怖

暑い・・・この2、3日ほど急激に暑い!!
今日のロンドンは、5月末の平均気温を10度も上回る28.8度、と真夏並みの気温に。日差しもあまりに強くて、サングラスなしには目を開けていられないほど。
2週間ほど前までは冬のような寒さだったのに、な、何なんだこれは?!

今朝は早くに目覚めたのですが、寝ぼけまなこでトイレにいると、何やら白い床に黒い点々がいくつも動いている・・・。ん?アリ?!

・・・部屋をよく見てみると、あちらにもこちらにも・・・なんと床中アリだらけだったのです!!「?○☆!!うわ〜〜っ!!」
我が家は、マンションのグランド・フロア、日本で言う1階なので、簡単にアリが入って来てしまったようです。

それから、アリと格闘の長〜い一日が始まりました。よりによって、旦那さんは出張中。。。

最初はインターネットで対処法を探しましたが、「お酢で床を拭く」やら、「熱湯をかけるとすぐ死ぬ」だのとあったので試してみたものの、お酢はほとんど効かず、熱湯は部屋がビショビショ・・・で、らちがあかず・・・。

ガーデニング好きの旦那さんのお母さんに電話で対処法を聞くと「殺虫剤が一番」とのこと。
近くのホームセンターでアリ専用の殺虫剤を買い込み、マスクにゴム手袋で、家中まき散らし、アリホイホイを仕掛け。。。
そして結局、この後の1週間はアリの死骸掃除に追われるハメに。大量のアリの死骸はこれまたグロい!

こちらの生活の長い友達や、英語の先生に話すと、「アリの侵入は夏の風物詩みたいなもの。」とか何とか。。。あ〜、まだ目を閉じても床をあちこち這い回るアリのイメージが・・・。

2010年5月7日金曜日

イギリスでも政権交代?









1週間ほどフランスのノルマンディーを旅行している間に、イギリスに総選挙の日がやって来ました。5月6日(木)の投票日が決まってから、一時マスコミの報道は選挙一色になったものの、アイスランドの火山噴火にすっかりニュースの主役を奪われていた感がありましたが、そちらが落ち着いてくると共に、数回にわたる各党首同士のディベート番組や、それぞれのパフォーマンスや発言がクローズアップされてきました。

今回の総選挙は、ブレア以来13年にわたる労働党政権から、保守党に交代するか否かが焦点になっている、イギリスにとって大きな転機が見込まれる選挙。
我が家は納税者ではありますが、イギリス国民でないため、当然ながら選挙権はありませんが、毎日のように各党首の顔がテレビに映し出されていると、嫌でも興味が出てきます。

イギリスは完全な小選挙区制。小さなエリアに分けられ、そのエリアごとに1議席ずつ、最多得票者が選出されるというもの。我が家は”Brentford & Isleworth”という、10km×2km程度の文字通り小さな選挙区。
日本の選挙活動と違うのは、うるさい宣伝カーが走らないこと! あちこちに候補者のわざとらしい笑顔のポスターがほとんど貼られないこと。せいぜい家のポストに投げ込みのパンフレットが入る程度です。もちろん候補者は、戸別訪問や、街頭演説もしますし、ニュースや新聞は選挙一色となり、すごい情報量になりますが。









選挙前の調査からも、野党・保守党の優勢が伝えられていましたが、党首のディベートで名を上げたのが、2大政党の労働党(Labour Party)ブラウン首相(写真上左)、保守党(Conservative Party)デビッド・キャメロン(写真上右)、のどちらでもない、第3の党、自由民主党(Liberal Democrats)の党首、ニック・クレッグ(Nick Clegg)。

逆に与党のブラウンはディベート後のアンケート結果も芳しくなく、オフレコだと思って口走った有権者の悪口を、外し忘れたマイクに拾われ、マスコミからキビシく追求を受けるはめになり、ますます支持率低下・・・。
実は私、イギリスには政党が2つしかないと思ってきたのですが、今回の選挙で他にもいろいろあることを初めて知りました。









選挙当日は、朝からニュースで「投票に行きましょう。」という呼びかけが。
基本的に、選挙の形式は日本と同じ様ですが、公民会や学校が投票所になる日本に比べ、イギリスの投票所(Polling Station)は、それ以外に、教会やパブ、中には素敵なお城や車のバン、という地域も(笑)。我が家の近くも教会が投票所になっていたのが面白い・・・。
夜10時が投票締め切りでしたが、駆け込み投票の長い列がさばききれず、時間切れで投票を断られた有権者達が、投票所の担当者に詰め寄るなど、多少の混乱がありながらも、開票が進められました。

結果、一夜経った今のところ、予想通り保守党が労働党の得票を上回りながらも、全650議席の過半数326には満たず、労働党の議席を90議席ほど奪った程度の306議席。与党・労働党は258議席を確保。
期待された第3の党、自民党も思ったほど得票が伸びず57議席。
絶対多数の党がないこの状態を、”宙ぶらりんの議会(Hung Parliament)”というようで、1974年以来数十年ぶりの政治的混乱とか。















テレビの選挙速報では、労働党の赤、保守党の青、自民党のオレンジ、とそれぞれの政党のイメージカラーに合わせた色分けで、獲得した選挙区がわかりやすく地図や表にされ非常にビジュアル。開票が夜10時以降のため、BBCでは徹夜で翌日の夕方まで放送していました。
開票結果は、全候補者の前で読み上げられます。候補者が各々の事務所で結果を待つ日本と違います。

面白いのは、イングランド中・南部は保守党支持、イングランド北部や、より北のスコットランドへ行くほど労働党や自由民主党支持が増えること。イングラン ド北部出身の英語の先生は「サッチャー(保守党)はヒトラーの次に嫌いだ。」と言っているぐらいです。

この曖昧な状況で、今後の政権の行方を握っいるのは、第3党の自民党、ニック・クレッグ。(クレッグ、保守党キャメロンとも43歳・・・若い!!)
当然、労働党、保守党とも自民党と組み、連立政権を目指そうとすることが考えられるからです。
クレッグ氏は「最多数の議席を獲得した党が、政権を取るべき。」との発言をしていましたが、どうなるのか。。。

ロンドンは保守党の強い南部にありながら、これまで労働党の強い地域でしたが、今回は、保守党に寝返る選挙区が多数。我が家の選挙区も、労働党から保守党の議席に代わりました。この辺は現在ヒースロー空港の拡張計画に含まれており、実行が決まれば我が家の真上にも飛行機が飛ぶことになることも大きな要因だったのかもしれません。
経済、教育問題以外にも、ブレア時代、積極的にとられて来た移民政策の見直し等も大きな焦点になっています。
果たして、これからダウニング街10番地の首相官邸に入るのは誰なのか?・・・キャスティングボードを握る自民党がどちらにつくかが、にわかに注目を集めている、今回の総選挙です。

2010年5月5日水曜日

フランス・ノルマンディーをドライブ ⑤ 色のパレット・モネの庭

ノルマンディーを多く描いた画家に、日本でも人気の高い、クロード・モネがいます。
彼はパリ生まれですが、ノルマンディーの港町、ル・アーブル(Le Havre)で育ち、そこで印象派画家の特徴である、”屋外(の光)で描く”ことを身につけました。
”印象派”という言葉の元になった作品「印象・日の出」は、このル・アーブルの港の日の出をモチーフに描いたと言われています。

途中立ち寄った、ルーアンにも、彼が繰り返し何度も描いた大聖堂がありますし、ノルマンディーの海岸沿いは、オンフルール、トゥルーヴィル、エトルタなど、彼の絵のモチーフとなった場所や町が多数。

ここは温暖な気候ですが(でも、我が家の旅行中は寒波で寒かった〜!!)、雨が多く、天気が刻々と変わります。まぶしいほど日がさしたかと思えばどんよりと雨雲が立ちこめ、急に雨が降り・・・。
雲間から地上に指す神々しい光「天国の階段・天使のはしご」が、毎日1回は見られました。








常に青空と黒雲が同居しているような、不思議な空模様・・・もちろん、その空模様を映す海岸も、表情を変えていきます。

そんな光と影に溢れた、表情豊かな地域だからこそ、モネのような光と色を操る画家が生まれたのかもしれません。

ノルマンディーを移動中の車窓の景色は、美しい海岸線の他、多くが畑。
青く揺れる緑の小麦畑と、交互に一面黄色い菜の花畑、そして所々に白い花咲くリンゴ畑と牛がのんびりたむろう牧草地・・・。

そんなノルマンディー・ジベルニー村(Giverny)は、そのモネが42歳の時に移り住んで以後、86歳で亡くなるまでを過ごした場所です。代表作である一連の”睡蓮”の作品や、日本庭園風の”太鼓橋”は、このジベルニーの彼の家の庭で描かれました。
花の咲く季節のみ(4月1日〜11月1日)、このモネの家と庭が一般公開されています。すぐ近くには、こじんまりした「印象派美術館」があります。

それ以外は、ノルマンディーに点在する他の村と同じような、小さな小さな集落です。メインの道が一本通っているだけで、特別大きなお店もなく、モネのお墓もあるこじんまりした教会と民家とリンゴ畑があるだけ・・・。「モネ」で商売しているのだろう、と期待せずに訪れたのですが、思っていたよりずっと素朴で、花で満ちあふれた素敵な村でした

ちなみに、ノルマンディーの小さな村は、他に、「地球の歩き方」にも載っていた「フランスの美しい村」に認定されている、というヴブロン・アンノージュ(Beuvron-en-Auge)という所にも行きました。
シードル(リンゴ酒)街道沿い、というツアー商売に組み込みやすいルートのせいか、不便な場所にもかかわらず、日本人観光客がたくさんいてビックリ。。。

しかし、花の季節の割に、特に庭の手入れが行き届いた民家もなく、すでに観光地化され、スレてしまっている感あり・・・で、かなりガッカリ。
お土産はバカ高く、カフェも愛想がない上、やはり高い。。。雑誌「フィガロ」日本版の表紙にもなったことがあるようで、それが店頭に飾られていたり、で、素朴な現地らしさはありませんでした。

それに比べると、ジベルニーは、パリから西に80キロほど、1時間ほどで来ることのできる場所ですが、交通の便が悪く、平日だったせいか、それほど混雑もありませんでした。











人生で、これほど花が咲き乱れている光景を、私は見たことがありません。

人間は10万色を見分ける能力を持っている、と本で読んだことがありますが、彼が「水の庭」「花の庭」で表現しようとした、”色のパレット”は、それこそそんな限界を試そうとしているかのよう。今も10名程の庭師が手入れをしているそうです。眼前に広がる庭や池は、モネの絵そのものを見ているようでした。




















家は、壁の色から「ピンク・ハウス」と言われていますが、中は彼のコレクションである浮世絵や陶器と、洋式の家具やラブリーな優しい壁の色が見事にマッチしている、不思議な空間でした。

↓ジヴェルニー・モネの庭のHP
http://www.fondation-monet.fr/jp/

2010年5月4日火曜日

フランス・ノルマンディーをドライブ ④ 上陸作戦跡”D-DAY Beach”









↑アロマンシュのD-
DAY博物館

今回旅した、フランス北部の海岸部、ノルマンディー地方からベルギー国境近くのピカルディー地方にかけては、砂浜と岩場が交互に続く優しい色をした青い海岸線と、豊かな緑が、本当に美しい場所です。

しかし、同時に第一次大戦、第二次大戦では、ヨーロッパにおける激戦地の一つでもあり、その生々しい負の歴史を強く感じさせられる地域でもあります。
ピカルディー地方は昨年の11月のブログでも触れたとおり、第一次大戦時、西部戦線の一部でしたが、
ノルマンディーは第二次大戦時、ナチス・ドイツに占領されたフランスの解放を目指して、連合各国が上陸作戦を実行した所でした。
映画「プライベート・ライアン」でも描かれた、ノルマンディー上陸作戦の舞台・・・。それが”D-DAYビーチ(D-DAY Beach)”と言われる海岸です。"D-DAY"とは上陸作戦実行日のことで、1944年6月6日を意味しています。

実はこのD-DAYビーチ、特別一カ所を指すわけではなく、コタンタン半島の付け根辺りのユタ・ビーチから西へスォード・ビーチまでの100キロ近く続く海岸線全体を指しています。
ユタ・ビーチ、オマハ・ビーチ=アメリカ
ゴールド・ビーチ、スォード・ビーチ=イギリス 
ジュノー・ビーチ=カナダ
など、ビーチによって各国の上陸作戦が展開されました。

激戦地が広範囲に渡っていることから、ノルマンディーでは行く先々の町に、この手の記念館があり、広場や入り口、レストラン等には、フランス国旗以外に、フランス解放に関わった国々(米・英・加・ノルウェー・ベルギーなど)の国旗が掲げられているのが印象的でした。自国愛が強く、アメリカ嫌いが多いと言われるフランスで、これほど他国の国旗、特に星条旗を見ると思いませんでした。

我が家はそれらのD-DAYビーチの中で、米兵卒の死傷率の高さから、「ブラッディ・オマハ」と言われた”オマハ・ビーチ”(下写真左上)、
このノルマンディー上陸作戦を物資の面から支えるためにイギリス軍が沖に人口港を作った”アロマンシュ”(下写真右上)、
D-DAY前日にドイツ軍を撹乱し、戦路を確保しておくためにイギリスが空軍のパラシュート部隊を使って制圧した”ペガサス・ブリッジ”(下写真左下・右下 現在かかっている橋は複製。実物は右下のように博物館に展示されいている。)に行ってきました。


















ここには、同じ”戦争”と言っても、バイユーで見た中世のタペストリーのような、ある種ロマンンティックに感じられるものは何もありません。
コンクリートの固まりがあちこちに生々しく残り、高台のトーチカ跡が海を見下ろす、まさに戦争の残骸。。。








でも同時に、そこは不思議なぐらいとても静かで穏やかなのです。ビーチでは何事もなかったかのように人々はくつろぎ、ウィンドサーフィンを楽しんだり、砂浜を歩いています。
風は少し冷たくも気持ち良く、ひばりのさえずりと波の音が静けさを際立たせます。とてもその昔、多くの血が流された場所だとはにわかに信じがたい景色が広がっていました。

日本で第二次大戦といえば、太平洋戦争のイメージが強いからか、D-DAYビーチのことはガイドブックにも詳しいことがほとんど載っていませんが、ヨーロッパではとてもメジャーな場所のようで、こちらで買ったイギリスのガイドブックには、訪れるべきノルマンディーの名所の第8位に挙がっており、実際、多くの人達が各国から訪れていました。社会見学の子供達も多数。
あちこちの石碑には赤いポピーの花輪が供えられ、入ったレストランでもポピーをあしらったカップが。兵士達が流した血の象徴は、イギリスだけでなく欧米共通なのがわかりました。


















驚いたのは、どこの博物館や町のショップにも、資料本やDVDの他に、各国の軍隊グッズや国旗などをあしらった商品がいっぱいだったこと。日本ではここまでおおっぴらに売られている場所は多くありません。これらを見て「”戦争そのものに対する罪の意識”はないのか?」とつい感じてしまうのは、敗戦国・日本人の悪い癖なのか。これらは、祖国を守ろうとする”愛国心”グッズであって、”ナショナリズム”を煽るものとは違うということか。
日本とは微妙に違う環境や意識を感じざるを得ません。











フランス北部には、D-DAYビーチ以外にも、先の大戦を省みる場所はたくさんあります。
第二次大戦で徹底的に破壊された中から復興した町は多く、町そのものが世界遺産になっているル・アーブル(Le Havre)は、当時新しい技術だったコンクリートを使って新しく再生された港ですし(写真の白い建物は、なんと映画館!)、
D-DAYビーチからもほど近い、バイユーのタペストリーの主人公、ウィリアム征服王の町・カン(Caen 写真下左)や、ポーツマスから夜行フェリーで着いたフランス最初の港町、サン・マロ(St-Malo 写真下右 ここはブルターニュ地方になります。)も戦後の瓦礫の中から昔の町並み通りに再生された町です。








この平穏な静けさと、美しい町並みが、二度と損なわれることのないように、と願うばかりです。

2010年5月2日日曜日

フランス・ノルマンディーをドライブ ③ ヨーロッパにもあった!絵巻物

絵巻物と言えば、”日本独自の絵画形式”で、”横長の紙(もしくは絹)を水平方向につなぎ合わせて長大な画面を作り、情景や物語などを連続して表現したもの”とされています。

私、絵巻物大好きです。
ジブリ作品等でもおなじみの高畑勲さんが、「日本のアニメーションの原点は絵巻物にある」と言われている通り、素晴らしい絵巻物は、絵そのものが生き生きと描かれ、ぐいぐいと引き込まれていくストーリー展開と魅力を持っています。

が、たいへん似たものが実はノルマンディーにもありました!
それは・バイユー(Bayex)のタペストリー。
実物は、絨毯のようないわゆる ”タペストリー” というよりは、渋めの色味で染められた糸で ”刺繍された布” といった感じです。

長さは日本の絵巻物も真っ青、50cm×70m という長ロングな代物。展示室に入り、突き当たりで終わるのか、と思ったら、角を曲がってまだまだ先が続いていた...という(笑)。また、日本の絵巻物はたいがい幅30cmほどでこじんまりしていますが、50cmもあると画面にもけっこうな迫力があります。ちなみに、右から始まる日本の絵巻物に対し、こちらは左から順に見て行くことになります。

イングランド王・エドワード懺悔王の死に際し、海を隔てたフランス・ノルマンディー領主だったウィリアム1世(またの名をギョーム)が、次王に名乗りを上げ、1066年ヘイスティングスの戦いでライバルのイングランド人・ハロルド2世を倒すまでが描かれています。
世界史でも必ず習う、いわゆる"ノルマン人のイングランド征服(The Norman Conquest of England)"のお話です。これを機にイングランドは北方ゲルマンの影響下から離れ、以後フランスと政治的、文化的な関係が強まっていくことになる、イギリスの歴史でも一つのターニングポイントとされる重要な出来事。国としてイングランドの中央集権化が進んで行く第一歩とされています。
今、通っている英会話のテキストにも、この1066年以降、イングランドにフランス語が流入したことにより、現在使用されている英語にも大きな影響を与えた、とありました。

とまぁ、難しいことは抜きにして、ウィリアム征服王を主人公に、ストーリーは壮大に展開して行きます。58にもわたる場面のうち、大船団を率いてイングランドに乗り込むシーンは圧巻。
昨年、ノルウェーの博物館で見たバイキング船そっくり船の形からも、彼らがその血を引く人間であることを感じさせます。
イングランド上陸シーンでは、馬がまだ船に片足を残していたり、戦の前の腹ごしらえで、雄々しくテーブル代わりの盾の前でバーベキューを食している所など、細かい部分まで描き込み、合戦のシーンは兵士、馬入り乱れ、累々横たわる死体の山まで。















同時に、当時の農民の日常の様子も描き、家を焼き払われて追われる親子など、戦争の悲惨さも感じさせてくれます。








このタペストリー、ウィリアム征服王の異母弟、オドン・バイユー司教の命でイングランドで作られ、毎年ある決まった時期に、バイユーの大聖堂で展示され市民に公開されてきたとか。ノルマン朝の正当性を世間に主張する意図もあったのかもしれません。そのためにも、字の読めない市民にもわかる絵巻、という形を取ったのでしょう。

たまたまお昼時だったせいかとても空いていて、社会見学の子供達が溢れる季節にも関わらず、オーディオガイド(ちゃんと日本語がありました!)の解説を片手に、自由なペースでじっくり2回も見ることができました。

平面に描かれたものですが、70mの長さの中で、時間の経過を十分に感じ取ることができますし、表現は一見漫画チックでつたなく感じますが、詳細にわたる素晴らしい描写で、登場人物も、動物すら生き生きと動き出すよう! イマジネーションが広がり、空間の広がりや、感情のうつろいすら思わせます。1000年近い昔の刺繍の布に、ただの平面以上の世界が表現されていました!特に期待せずに見始めただけに、逆に感動も大きく、思わず長居し、後の旅程に影響してしまったほど(苦笑)。

ショップには、詳細な解説本と共に、長〜〜いタペストリーそのままに印刷された簡単な解説本も売っています。なんと日本語版で手に入ります。

帰って来て、学生時代の世界史の資料集を見てみると・・・あ、あった! でもほんの一場面がちっちゃく載っているだけ・・・これじゃインパクトもなく、覚えられなかったわけだよなぁ・・・(苦笑)。
膨大な歴史のお勉強も実感してこそ頭に入る・・・な〜んて今更、大昔のテストの言い訳をしたりして。。。